おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

飼っていた文鳥が死んだ日

個人的な意見ではあるのだけれど、私は「〜してあげる」と言う言葉があまり好きではないし、自分では使わない。どう言う風に使っても、何だか上から目線で物事を言っているように感じてしまうからだ。

 

だけれど最近、と言うか昨日にその考えを改める事になった出来事があったので今日はその話をしようかなと思う。キッカケは、飼っていた文鳥がつい昨日に亡くなった事だった。

 

私が文鳥を飼い始めたのは今からちょうど5年前の事だ。特に何か理由があった訳ではない。強いて言うなら、一人暮らしも長くなってきていたので部屋に帰った時に「ただいま!」と言う相手が欲しかった。彼女もいなかったし。一人暮らしの寂しさに負けたのだ。

 

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べらぼうに可愛いうちの文鳥のブンキチ(♀)

 

飼ってみて知ったのだけれど、文鳥は意外と手がかかる。餌もウンコも撒き散らすし、毎朝世話しなきゃいけないし、元気な時間帯はバタバタとケージの中を飛び回って夜中までうるさい。正直な話、1ヶ月程で飼い始めた事を後悔した記憶さえある。

 

それでも数ヶ月ほど一緒に住んでいると段々と愛着も湧いてくる。朝起きて「おはよう」、出かける時に「いってきます」、部屋に帰ってきて「ただいま」、寝る前には「おやすみ」と喋りかけたりするのが当たり前の習慣となった。その日あった出来事をダラダラと文鳥に話すのも良くしていた。当の文鳥はブランコを漕いだり餌を撒き散らしたりするのに忙しくて、全く話を聞いてはくれなかったけど。

 

うちの子は割と気分屋で一人で遊びたい時は全く私の相手をしてくれない。一心不乱にブランコを漕いでは飛び降り。飛び降りては漕ぎを繰り返し続ける。

 

ひとしきり一人で遊ぶのに飽きると「一緒に遊べ」と騒ぎ出す。カゴから出すと肩に乗ってきて、私の首の皮を嘴で引っ張ると言う凶悪な遊びに興じ始める。これがめちゃくちゃ痛くて私は何度も肩から文鳥を降ろし、掌に乗せようとするが直ぐに肩に戻って嘴で首の皮を引っ張り始める。これは完全に嫌がらせだと思った。

 

あと、鳴き声でかなりコミュニケーションがとれる子だった。文鳥の鳴き声は多彩で、長く一緒にいると様々な鳴き声を聞かせてくれる。家に帰ってきて玄関を開けると気配を察してリビングの方から「ピッ!ピッ!!!ピピッッッ!!」と言った具合にお出迎えしてくれるのが好きだった。帰りを待っていてくれる相手がいるのは幸せな事なんだなと教えてくれたのは文鳥だったかもしれない。

 

ただ撫でられるのはあんまり好きじゃない子だった。掌の上で眠ってくれる位には懐いていたが、撫でようとすると逃げてちょっと怒った様な仕草をする事が多かった。 

 

そんな文鳥ではあるが、飼い始めて5年程たった昨日に亡くなってしまった。

 

1週間ほど前から、元気がない様子なのは気付いていた。気には止めていたが、栄養のある青菜やカルシウム餌を多めにあげてれば元気になるだろうと楽観視をしてしまっていた。

 

昨日、朝起きて文鳥のあまりの様子のおかしさに慌てて病院へ連れて行った。先生も原因がハッキリとわからない様だったが、ビタミン剤を処方してくれて「しっかり保温していればきっと良くなる」と言ってくれた。

 

出来る限り部屋を暖めて、言われた通りにビタミン剤をあげたが良くならず、夜にはついに亡くなってしまった。色々な手段で保温をするも、最後は段々と弱っていくのを側にいながら私は見ている事しか出来なかったのだ。

 

撒き散らす程に猛烈な勢いで食べていた餌も最後は食べなくなってしまった。漕ぎすぎて壊した事もあるブランコには掴まる事が出来なくなってしまっていた。何度も側で声をかけても、最後は鳴き声すらあげることが出来なくなっていった。

 

あんなにも、うるさいくらいに良く鳴く子だったのに。

 

動かなくなってしまった文鳥を最後に手に乗せると、生きていた時よりずっと軽くなっていた。撫でられるのが嫌いな子だった。名前を呼んで何度も撫でても、もう逃げてはくれなかった。もう嫌がってはくれなかった。こんな形でしっかり撫でられる事になるなんて、思っても見なかった。

 

文鳥の平均寿命は7〜8年だが、うちの子は5年で亡くなってしまった。大事にしていたつもりになっていたのだ。もっと早く体調不良に気付いていれたら。もっと早く病院に連れて行けてれば。もしかしたらまたうるさい位に元気を取り戻してくれていたのかもしれない。

 

しかし、肝心な所で私は文鳥を大事に「してあげられなかった」んだ。こんなの、私が殺してしまったも同然だ。

 

「〜してあげる」と言うのは上から目線の言葉ではなく、自分より弱い守るべき存在に対して使う言葉なんだと知った。長く一緒に生活していたせいで、いつの間にか自分と対等の存在として接してしまっていたが、そうではなかったんだ。自分よりずっと小さくて弱い、守らなきゃいけない存在だったんだと気付くのが本当に遅すぎた。飼い主失格だ。

 

最後に私がしてあげられるのは、キチンと体を綺麗にし、埋葬してあげる事だけだった。本当はもっと「うちの文鳥がマジでうるさい」とか「毎朝世話のためにちょっと早起きをするのが面倒くさい」とか愚痴りながらでも、一緒に住んで世話をしてあげたかった。

 

もう毎朝撒き散らされた餌やウンコを掃除する事も、うるさくて夜眠れない事も、首の皮を嘴で引っ張りまくられる事もない。それがとてつもなく悲しくて、昨日からもうずっと涙が止まらない。幸せな時間と、それを失った時の悲しさはきっと比例してしまうのだろう。文鳥は5年と言う短い生涯で沢山の幸せを私にくれていた。それに対して、私は一体文鳥に何を返してあげられていただろう。もっともっともっと、大切にしてあげるべきだった。

 

結びになるが、このブログに書くのには不適切な内容だったかなと反省はしています。それでも自分の中のものを吐き出さなくちゃ、また楽しくブログを書く事が出来なくなってしまいそうだったのでしたためさせて頂きました。

 

うちの子はプランター葬にした。早々にホームセンターで大きめのプランター腐葉土と堆肥を買ってきて、ベランダに置いたプランターの中へと埋葬した。埋める前に冷たくなっている文鳥を撫でて、名前を呼んだ。ちょっと眠ってしまっているだけの様にしか見えない文鳥に土を被せるのは辛かった。

 

きっと死んでしまったものを生きている時と同じように扱ってはいけないんだと私は思う。だけれど、今日だけはいつものように餌と水を入れ替えて、お気に入りのブランコと一緒にプランターに添えた。5年間欠かさずにやってきたのに、これがもう最後となってしまった。スプーン3杯分の餌と冷たいお水。いつもと同じ朝なのに、文鳥の鳴き声だけが欠けてしまった。

 

完全に土に還るまでは3〜5年かかるらしい。勿論、それまでずっとこれから手入れをする。落ち着いたらこのプランターで花でも育ててみる事にしようと思います。自分の体に寄り添う何かがあって、窓から覗き込めば部屋でゴロゴロしている私が見えた方が、文鳥も少しは寂しさが紛れるんじゃないかなと思う。私がうちの子にしてあげられる事は、残念だけどもうこの位しかないんだ。

 

ゆっくり寝ている文鳥の上に綺麗な花が咲かせられたら、うちの子もきっと嫌な気はしないだろう。それは幸せな日々をくれたブンキチに対して最後ではなく、「これから私がしてあげられる事」の様な気がしている。今日はそんなお話でした。