おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

コンディションの良い日のアンパンマンにありがちな事

身だしなみに関してコンディションの良い日と言うものが存在する。特に何もしていなくても朝出かける前に鏡を見た時に「あれ?今日の自分いつもよりキマッているかも?」なんて思ったりする日の事だ。

 

髪型だったり、肌ツヤだったり、女性ならメイクだったりが特に意識しなくても良い感じに仕上がっている日と言うものは、生きていればそれなりの頻度で起こるものなのだと思う。コンディションが良い日はいつもよりちょっとだけ外出が楽しくなる。誰か人に会ってみたくなる。そんな経験、きっと誰しもあるのではないだろうか。

 

そしてこの「コンディションの良い日」と言うものは誰しもに起こり得るならば、きっとアンパンマンにも起こり得るのではないだろうか。我々とは比にならない頻度で「顔」を入れ替え続けているアンパンマンならば、きっと私たち以上に「顔のコンディションの良い日」と言うものを気にする機会が多いような気がしてくる。今日はそんな話をしていこう。

 

アンパンマンを知らない人は流石にいないとは思う。ドラえもんサザエさんちびまる子ちゃんに並ぶ超国民的アニメキャラクターだ。アンパンマンワールドの無敵のヒーロー。子供向けアニメ業界の重鎮。アンパンのドン。それがアンパンマンだ。

 

言わずもがなアンパンマンは物凄い頻度で「顔」自体を入れ替える。誰かに顔を与え過ぎた時、雨に濡れてしまった時、バイキンマンにやられた時、どこからともなくジャムおじさんが法定速度と言う概念を度外視したスピードで砂埃を巻き上げながらアンパンマン号を走らせて現れる。そして人間のレベルを遥かに超越した投擲能力でバタコがアンパンマンの顔を投げるのだ。

 

当たり前だけれどアンパンマンの顔はアンパンなのだから完全に正確に全く同じ顔が毎回作り続けられている訳ではないんじゃないかと私は思う。ましてやアンパンマンの顔は工場のライン製造ではなくジャムおじさんの手作りなのだから、アニメだとそこまで詳細には描かれていないが、ちょっとだけ鼻が大きくて不細工な顔の時もあれば、目がパッチリして良い感じの顔の時もあったりと個体差が出るはずだ。そうなるとアンパンマン自身に自我があるのだから「あれ?今回の顔ちょっとキマっているな」なんてコンディションの良さを感じる機会があってしかるべきだと私は思う。

 

そしてこの「良いコンディション」を崩したくないと思うのもまた人情だろう。髪型がばっちり決まった日が強風だと外に出たくないし、メイクがばっちり決まった日にはなるべく汗をかきたくない。と思ってしまうのは致し方のないことだ。

 

アンパンマンに置き換えると顔のコンディションが良い日はきっと「誰かに顔をあげるのが嫌になる」のではないかと私は考察する。更にいうならば、ぶっちゃけバイキンマンとも戦いたいなくはずだ。顔が汚れるから。

 

しかし顔をあげたくないしバイキンマンともぶっちゃけ今日は戦いたくないと言った気持ちとは裏腹に、コンディションの良い自分を誰かに見てほしいから無駄にいつもより入念にパトロールする。そんな日が実はアンパンマンにもあると思う。

 

アンパンマンの存在を根本から揺るがしかねない発言であることは自覚している。やなせたかし先生が「本当の正義の味方は戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろう」と言って生み出されたアンパンマンが「顔をあげるのが嫌」だなんてあってはならない。あってはならないけれど、アンパンマンだってそれなりに身嗜みを気にする権利があっていいはずだ。

 

無償の奉仕。無償の愛。無償の正義。言葉にすれば美しい。

 

美しいけれどそうした見返りを求めない無償の行為は全て施す側の自己犠牲があって成り立っている事を忘れてはいけない。無償の行為は色々あれど、自身の顔をちぎって他人に分け与えるアンパンマンはその最たる例だと私は思う。正義の味方は究極の自己犠牲であって、アンパンマンって本当に大変なんだ。

 

個人的にはアンパンマンはもっともっと自分勝手になってもいいと思う。お腹が空いたらアンパンマンが顔を分け与えに来てくれる。バイキンマンが出たらアンパンマンが倒してくれる。

 

そう勝手に思い込んでアンパンマンの無償の自己犠牲の上に胡坐をかいているアンパンマンワールドの奴らに「お腹が空いたのかい?ほら!食パンマンの顔をお食べよ!」とか、バイキンマンが出たら「来るならこい!今日はカレーパンマンが相手だ!」と言い放つアンパンマンが見てみたい。そのくらいの権利、正義の味方だって当たり前に持っていてしかるべきなんだ。今日はそんなお話でした。