おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

故郷はいつだって懐かしくて暖かくてホッとして、少しだけほろ苦い。

今回ははてなブログの企画「私のふるさと」に応募する記事をしたためる。企画に応募した参加者の中から素敵なふるさと記事を書いた人に対してなんと特産品(2万円相当)が送られる夢の企画。

 

私は思った。2万円分の特産品が欲しいと。2万円分の特産品が食べたいと。故郷を紹介したいと言う気持ちより断然、2万円分の特産品を食べたい気持ちが強い。特産品が無理なら2万円の現金でも良い。

 

さてさて。私は今でこそ実家は千葉県木更津市にあるが、幼少の頃は千葉県市原市の有秋台と言う所に住んでいた。生まれ育った有秋台の方が私にとっては故郷と呼ぶのにしっくり来るので、こちらを題材にしようかと思う。木更津はヤンキーしかいないから特に書く事がない。木更津がヤンキーの特産地って話はまた別の機会に。

 

私は生まれてから小学校5年生までを有秋台で過ごした。誰かに紹介できるような特別なものなんて何もないような所だ。あるのは沢山の社宅と駄菓子屋、無駄に長くて急な坂道とこれまた無駄にデッカい公園だけがあるような土地だった。

 

私の中にある1番古い記憶は幼稚園児の頃くらいからだろう。当時の私の行動範囲は住んでいた社宅の敷地内だった。同年代の子供が沢山住んでいたので毎日社宅の中で遊んでいた。隠れんぼをしたり、木に登ったり、使ってない社宅に肝試しに行ったり、そんな遊びをしていたかな。

 

私は結構ませた子供で、幼稚園の頃から好きな女の子がいた。相手は同じ幼稚園に通うSちゃんと言う女の子だったが、何がきっかけで好きになったかなんて1ミリも思い出せない。たぶん、顔が好みだったんだと思う。

 

小学校に上がると自転車に乗れるようになり、社宅の外で遊ぶ事が増えた。お手製の釣竿を作ってザリガニを釣ったり、学校のグラウンドで竹馬をしたり、駄菓子屋で酸っぱいガムにご用心とかきなこ棒を食べたりしていた。あとやたらと、鳩を追いかける癖があった。鳩を追いかけるのが当時の趣味だったのかもしれない。

 

子供だった私は有秋台をとても広大な土地だと思っていた節がある。どこに行くにも無駄に長くて急な坂を登ったり降りたりしなきゃいけない不便な土地だったのに、そんな事を気にも止めず、毎日飽きもせずに有秋台をグルグルと周って遊んでいた。また、今よりも季節の移ろいを深く感じて、四季毎に遊びも変わっていたと思う。

 

無駄にデッカい公園にはこれまた無駄に長い階段があって、そこは春になると桜が満開になるから桜坂とか呼ばれていた。良く親とも友達ともお花見に行った気がする。

 

夏は社宅で花火をしたり、父親と夜中にカブトムシを捕まえに行った。カブトムシは虫なのにゼリーを食べる所に妙に親近感を覚えたりしていた。

 

あと社宅にビワの木が生えていたから良く登って食べてたかな。この頃に野生のビワを食べ過ぎたせいで大人になるまで「ビワはそこらへんの木になってる果物」とずっと勘違いして生きてきた。大人になってからスーパーでビワの値段を見てたまげた記憶は割と真新しい。

 

秋はどんぐり集めに精を出していた。どんぐりを拾ってはコンクリートに擦り付けて削り、中身をくりぬいて船にしていた。どんぐりシップだ。つまようじを指してコマにもしていた。子供のクリエイティブな発想の犠牲になるのは大抵どんぐりだ。

 

千葉県だけど、冬は今よりも全然深く雪が積もっていた気がする。雪が積もった日はソリに乗って無駄に長い坂を滑ってた。あと雪だるまも作ってた。泥だらけの雪だるまだったけど、出来上がった時の達成感はひとしおだった。翌日には溶けてドロダルマになってたけど。

 

ちなみに小学校4年生の頃くらいには幼稚園からずっと好きだったSちゃんともやや進展があって、一回だけ2人で遊んだのを覚えている。近所の「クロワッサン」と言う名前のパン屋で待ち合わせをして遊んだ。これが人生最初のデートだったなぁ。

 

そんな具合で色々と思い出深い有秋台を離れたのは、親が木更津に家を買ったからだった。小学校5年生までいたから、友達やSちゃんと同じ中学校に行けない事が結構悲しかった様に記憶している。まあ子供の力じゃどうしようもないよね。

 

再び有秋台を訪れたのは転校してから11年後の22歳の時だった。別に大した理由があった訳じゃないけど、たまたま有秋台の近所を通る予定があり時間もあったので、ちょっと見ていこうかなくらいの軽い気持ちで立ち寄った。

 

大人になってから見るとあんなに広大だと思い込んでいた有秋台がとてつもなく狭い土地だったと気付いて驚いた。

 

無駄に長くて急な坂だと思っていた坂は全然緩やかで長くもない普通の坂だった。無駄にデッカいと思い込んでいた公園は全然小さくて大した遊具もない普通の公園だった。

 

グルグルと有秋台を歩いていると、子供の頃の思い出を発見できる場所と、変わり過ぎていて知らない土地の様になってしまっている場所とが交互に現れた。

 

良く行っていた駄菓子屋はまだ営業していた。きな粉棒も見つけた。

 

ザリガニを釣ってた池は見つける事すら出来なかった。

 

初めて女の子と待ち合わせをしたクロワッサンは潰れてしまっていた。

 

住んでいた社宅は残っていたけど、違う会社の社宅になっていたし、ビワの木もなくなっていた。

 

それでも私は何だかんだ懐かしい気持ちになった。大人になった自分でも、変わってしまった景色の中に思い出を発見できる感覚が妙に嬉しくて、懐かしいやら寂しいやら。

 

故郷と呼べる土地があるのは幸福なことだ。例えその土地が昔と大きく変わってしまっていたとしても、自分がそこで過ごしたと言う事実は変わらない。

 

そんな故郷が思入れ深いのはきっと、自分の初めての経験が沢山詰まった場所だから何だろうと私は思う。

 

生まれて初めて隠れんぼをしたのも、木に登ったのも、花火をしたのも、自転車に乗ったのも、雪を見たのも、カブトムシを捕まえたのも、友達や好きな女の子が出来たのも、転校で離れ離れになったのも。沢山の初めてが詰まった場所だから、故郷はいつだって懐かしくて暖かくてホッとして、少しだけほろ苦い。

 

小一時間ほど歩いたけど、結局ザリガニが釣れた池は見つけられなかった。大人になると見える景色が変わる。子供の頃には見えたり感じられた何かに大人になると鈍感になるんだと思う。きっと、大人になってしまった私にはもうザリガニが釣れる池は見つけられないんだろう。

 

冒頭で申し上げた通り、有秋台は誰かに紹介できるような特別なものなんて何もないような所だ。今あるのは社宅と駄菓子屋と、短くて緩やかな坂道とこじんまりとした公園。あとザリガニが釣れる池が何処かにあるかもしれないって位かな。

 

それでも私にとっては思い出深い、たった1つの変わらない故郷なんだ。今日はそんなお話でした。