おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

パラレルワールドオムライス 〜シュレーディンガーのパンツを添えて〜

たまには自炊をしよう!

ふいに私は思い立つ。最近ついついスーパーのお弁当で済ませてしまいがちだが、たまにはちゃんと栄養のあるものを食べたい。卵が冷蔵庫にあった筈なので、オムライスの材料を買って家路に着く。

 

こんな些細な日常がパラレルワールドへの入り口になっている事を、この時の私はまだ知る由もなかった。

 

家に帰って冷蔵庫を開けるととんでもない異臭がして私は後方に仰け反った。よくよく確認してみるとなんと冷蔵庫の電源が入っていない事に気づく。そう言えば一週間前くらいにケトルを使おうと思って何かのコンセントを抜いた事を思い出す。てっきり炊飯器のだと思っていたが、あれはどうやら冷蔵庫のだったようだ。

 

異臭の元はキムチだった。最近夏日が続いていた影響もあってか、キムチはもう一目で見ただけでダメだと分かる程に変わってしまっていた。久しぶりー、ちょっと雰囲気変わった?あ、髪切ったから?なんて軽い感じではない。百戦錬磨の検察官も裸足で逃げ出すのくらいのキムチの腐乱死体っぷり。泣く泣くキムチは処分した。

 

幸い、冷蔵庫にはモノが少なかった。魚とか入ってなくて本当に良かった。腐乱死体になりかけのヨーグルトと飲み物は処分し、冷蔵庫の中を綺麗に掃除して電源を入れる。

 

さあ!ひと段落だと思ってオムライスを作り始めて、ある事に気付いた。アレ...卵は無事なのか?と。

 

卵は見た目には無事に見えた。消費期限もまだだし、スーパーだと常温で売られているから大丈夫な気もする。しかし、中身は既に腐っている可能性も否定は出来ない。

 

シュレーディンガーの猫」っぽい。と私は思った。箱に閉じ込めた猫は生きているか死んでいるかを論じる思考実験の話だ。

 

シュレーディンガーの猫を極端に簡略化して話すと、箱の中に50%の確率で発動する毒薬発生装置と生きた猫を閉じ込める。一定時間経過した後に箱の中の猫は生きているか?死んでいるか?と言う問題だ。

 ※思考実験なので実際に生きてる猫を閉じ込めている訳ではない。ご安心を。

 

普通に考えてしまえば猫は50%の確率で生きているし、50%の確率で死んでしまっている。

 

だが世界の名だたる天才達はこの問題をあらゆる視点から論じている。

 

これを量子力学の確率解釈に照らし合わせると、閉じられた箱の中で猫は生きている状態と死んでいる状態が重なり合ったファンタジーな存在なると言われている。猫は生きてもいるし、死んでもいる。

 

そして箱を開けて人が中身を観測した瞬間に、猫は生きているもしくは死んでいる状態のいずれかに収束すると話だ。厨二病か!とツッコミを入れたくなるが、もう何十年もあらゆる天才が挑んでも論破できない、いまだ未解決とされるパラドックスだ。

 

置き換えると手にある卵の中身もまた、私から見れば腐っている可能性と腐っていない可能性を秘めている。卵は腐っているし腐っていないのだ。私はただ、オムライスを作りたかっただけなのに、知らぬ間に量子力学パンドラの箱を開けてしまっていた。自宅で。マジか。

 

このパラドックスの恐ろしい所は、矛盾を解決しようとすると多世界解釈を持ち出す必要がある事だ。

 

量子力学では猫は生きてもいないし、死んでもいないとされるがそんな状態の猫は存在しない。全然想像もできないし。この矛盾に充てられる仮説の一つが多世界解釈だ。

 

多世界解釈では閉じられた箱の中には生きた猫と死んだ猫が並行して存在している故に、箱を開けた時に生きた猫を観測する自分と、死んだ猫を観測する自分に観測者自身が分岐をする。俗に言うパラレルワールドと呼ばれるものに近い概念だ。

 

例えば私が卵を割って中身を確認すると、卵が腐っていた事を観測する私と、卵が腐っていなかった事を観測する私とに分岐し、その二つは並行した世界に存在する。

 

更に言うならばこれを他の第三者が観測するまで、第三者にとっては私が割った卵は腐っているし腐っていないと言うファンタジーな状況が生まれる。

 

つまりは今このブログを見ているあなた自身が観測者となる。あなたにとっては私が割った卵は腐っている可能性と腐っていなかった可能性を秘めていて、その2つは並行して存在している。

 

私がここで結果を話してしまうと、あなた自身も私の卵が腐っていた事を観測するあなたと、私の卵が腐っていなかった事を観測するあなたとに分岐し、パラレルワールドの扉が開く。何それ怖い。恐るべし量子力学

 

まあ卵の結果はさておき。

ちなみに個人的にはシュレーディンガーの猫よりもシュレーディンガーのパンツの話の方が好きだ。

 

せっかくなので紹介すると、目の前に女性がいるとする。彼女はスカートを着用していてパンツは見えない。そうなるとスカートの中はパンツを履いている可能性とパンツを履いていない可能性を秘める。量子力学の確率解釈では、パンツは履いているし履いていないのだ。

 

この問題は猫や卵よりもパンツの方が話が複雑になる。

 

パンツは履いているか履いていないかだけではなく、履いているとしたらどの様な形状か、どの様な色かと、その可能性は無限の広がりを見せる。パンツのビックバンだ。スカートの中は様々はパンツが重なり合ったコスモ(小宇宙)を形成する。

 

どんなパンツを履いているなんて、履いている女性からしてみれば既に確定してしまった存在であると反論もできる。しかし世界は個の視点ではなく、集の観測によって形成され続けている。故に自身の個の視点だけでは、我々は真の意味でパンツを履く事が出来ないのだ。

 

パンツは観測されて初めてパンツになる。世界はそうやって回っている。ただこれだけ量子力学の神秘を披露しても女性はパンツを見せてくれないので、これもまた一つのパラドックスなんだなぁって思ったり。思わなかったり。

 

あ、ちなみに卵は腐ってました。