おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

母ちゃんの飯が世界で一番美味い理由

今週のお題「おかあさん」

 

1人暮らしをしていると自然と外食も多くなる。30年間生きてきてそれなりに美味しい物も人並みには食べてきたつもりではいるが、何を食べてもやはりうちの母ちゃんの飯には敵わないなと思う。

 

銀座の寿司も、三ツ星シェフのイタリアンも、母ちゃんの飯には敵わない。母ちゃんの飯が世界で一番美味い。これだけは間違いないと確信している。

 

私は大体年に2〜3回は実家に帰る。まあたまには両親に顔を見せたいと言うのもあるが、目的は母ちゃんの飯である。たぶん飯を作ってくれないなら実家にはもっと帰っていない。飯があるから実家に帰ると言っても過言ではない。

 

顔を見るだけならぶっちゃけ年に一回見れれば別に良い。たまにLINEで近況でもくれれば充分だ。

 

でも母ちゃんの飯ばかりはそうもいかない。母ちゃんの飯には強烈な中毒性があって、数ヶ月おきに無性に食べたくなる。その禁断症状がマックスに高まるタイミングに、私は実家に帰って飯を食う。

 

たまに帰ると実家の食卓は豪奢を極める。米に味噌汁に多種多様なおかず、調子の良い時はデザートまで出て来る。滅多に帰ってこない息子が物珍しいんだろう。リクエストも何でも受け付けてくれる。

 

母親が料理を作ってくれる事のありがたみがわかったのは大人になってからだ。それがどれだけ恵まれている事なのか、子供の頃の私は気づけもしなかった。

 

子供の頃の私は好き嫌いも多かったし、母親が作ってくれたお弁当を残して帰ってきた事もあった。仮に自分が親だったら料理を作るのが嫌になってしまいそうだ。それでも母ちゃんは毎日ご飯を作ってくれていた。お陰で私は大きくなれたのだ。

 

世間には様々な家庭が存在する。ご飯を作ってくれない親だって多くいるし、虐待したり子供を捨てたり殺したりする親だっている。親が子に愛情を持って接することは、決して当たり前の事ではない。

 

そう考えるとうちの両親が良い両親だった事は、ラッキー以外の何物でもない。自分で言うのも何だけど、うちの両親は本当に良い両親だ。二人の間に生まれてこれた事で、多分かなりの運気を私は使い果たしている。そのくらいのラッキーだ。

 

だが、両親はいつまでも生きていてくれる存在ではない。いずれは自分より先に墓に入る。いつかは母ちゃんの飯も食べられなくなる時は必ず来る。年に数回しか会わないと、あと何回母ちゃんの飯が食えるんだろうなんて事も正直たまに考える。なるべく長生きして欲しい。長生きして飯を作って欲しい。

 

そんな具合でたまに実家に帰って飯を食う時、私がご飯を頬張りながら「飯ウメェ」と言うと、母ちゃんは「母ちゃんが作ってるんだから当たり前だ」と笑う。

 

まあそれもそうだなと思う。よく料理は愛情だと言われる。それが本当なら母ちゃんの飯が世界で一番美味いのは当たり前だ。間違いなく、世界中の誰よりも私に愛情を注いでくれているのは母ちゃんなのだから。私にとっては銀座の寿司も、三ツ星シェフのイタリアンも、母ちゃんの飯に敵うわけがないのだ。

 

母ちゃんの飯は私にとってのカンフル剤で、食べれば腹の底から元気が湧き上がる。「よっしゃー!」と言う気持ちになる。そして一通り食べ尽くしたらまた実家を後にする。あんまり長居はしない。一緒の時間を多く過ごすよりも、自立した自分の姿を見せる事の方が今は親孝行になる気がするからだ。

 

いつか自分も親になる時が来たら、子供にはやっぱり美味しい料理を食べさせてあげたい。自分が親に与えてもらった様に、自分も子供に与えられる親になりたい。

 

だがしかし予定はない。そもそも彼女がおらへん。彼女もいないのに子供が出来たら何々したいなんて、ニートが仕事もしてないのに会社で出世したら部下にはこうしてあげたいなんて言ってる様なものでまるで説得力がない。くそう。

 

それにそもそも私は料理が得意ではない。この前もシチューにルーを入れすぎた完全に固形化させてしまった。

 

f:id:mnemomasa64:20180512084019j:image

 

うむ、、、まあ見た目はちょっとアレだけど味はそんなに、、、アレ?まあおいおい頑張ろう。

 

結びになるが、叶うならば母ちゃんにはどうかいつまでも健康に。健康に飯を作って欲しい。孫を見せる予定はないけど、孫にも母ちゃんの飯は食べさせたい。うん。予定はないけど。