おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

牛丼に届け

男性を落としたければ胃袋を掴むことだ。これは何千年も続く男女の駆け引きのなかで、変わらない一つの心理と言える。そういう意味で言えば、私はずっと胃袋を掴まれ続けている存在がいる。そう私は、牛丼に胃袋を掴まれている。


これはそのまま牛丼に恋をしていると言っても語弊はない。恋とは瞬間だと私は思う。さりげない仕草、何気ない言葉、ふとした表情、そうした瞬間を重ねた先に恋がいる。思わず目で追ってしまう瞬間の多さに、人は恋を自覚するのだ。

 

私も仕事の帰り道、ついつい「牛丼」の文字を目で追ってしまう。そして気づけば牛丼のことばかり考えている。今日はどれだけ紅ショウガを乗せてやろうか。温玉も付けてやろうか。そんな事を考えると胸がワクワクして腹がグーグー鳴る。


お米の粒立ちが、牛肉の旨味が、玉ねぎの甘さが、私を魅了してやまない。これを恋と呼ばず、何を恋と呼ぶのか。私の腹のときめきは牛丼にしか満たせないのだ。


とは言うものの、私だけでなく世の男性の10割は、牛丼に夢中である。むしろ牛丼が嫌いだと言う男と私は会った事がない。いないのではないだろうか?たぶん。

 

いたとしたらそんな奴はきっと、牛丼が完全栄養食だと言う事を知らないのだろう。そんな奴は大きくもなれない。牛丼食べてれば大抵の事は乗り越えられる。仕事でミスしたり、女にフラれた位なら牛丼食べとけばとりあえずOKだ。最近だと癌も牛丼で治るんじゃなかっただろうか。

 

そんな私が牛丼を最も愛していた時期は、1人暮らしを始めた20代前半の頃だ。私達は毎晩逢瀬を重ねた。夕食は大抵、松屋吉野家すき屋をローテーションしていた。自炊は面倒くさかった。牛丼を食べていれば問題なく元気だったので、本当に牛丼ばかり食べていた。あの頃の私は体の8割が牛丼で出来ていた。残りの2割は紅ショウガだ。

 

しかしそんな私達を引き裂く悲しい事件が起きた。医者からの突然の宣告。メタボリック症候群だった。

 

昔の私は非常に痩せ型だった。身長175cmに対して体重は55kgしかなかったのが、わずか一年で体重は75kgに迫る勢いで急成長を遂げていた。大きくなり過ぎてしまった。このところネクタイがお腹に乗っていたのは、幻覚ではなかったのだ。

 

医者からはダイエットを勧められた。牛丼も控えた方が良いと言われた。私は茫然自失の状態で、体に上手く力が入らなかった。

 

その日の晩、私は牛丼には会わずに、SUBWAYに行ってエビアボガドサンドを食べた。エビアボガドサンドは美味しい。美味しいが、私が本当に求めてやまないのは牛丼なのだ。こんな、牛丼の事を考えながらエビアボガドサンドを抱くような真似、私はしたくなかった。

 

ケジメをつける必要がある。

そう、バジルポテトを食べながら私は思った。バジルポテトも美味しい。牛丼に会いに行こう。このままではいけない。オレンジジュースを飲みほし、私はSUBWAYを飛び出した。松屋は、すぐ隣だ!

 

息を切らし、肩で呼吸をしながら私は松屋の扉を開けた。今日は牛丼と二人きりで話がしたい。店員にその旨を伝える。お持ち帰りだ。何?味噌汁もお持ち帰りができるのか?なら味噌汁もお持ち帰りだ。

 

自宅への帰り道を牛丼と味噌汁と並んで歩く。牛丼を持つ私の手は、少し震えていた。きっと、今夜が牛丼と過ごす最後の夜になる。

 

部屋に着くなり、私は牛丼の蓋を粗々しく外した。牛丼の牛の部分が露わになる。紅ショウガを乗せ、丼を強引に抱き寄せた。牛丼はされるがままだ。

 

「ダメ。。。味噌汁が見てる。。。」そんな声が聞こえたような気がしたが、構わず牛丼を口に掻き込む。舌に絡みついてくる牛肉と玉ねぎのハーモニーに、後から押し寄せる白米の安定感に、抗う術を私は知らない。一度口にしたら止まれないのだ。

 

牛丼を食べ終えた後、私はそのままベッドで寝てしまった。そして少しだけ牛丼との思い出を夢に見た。仕事でミスをした時、女に振られた時、何か落ち込んだ事があればいつも牛丼が寄り添ってくれていた。牛丼を食べてればそれだけで笑顔になれた。だが、いつまでも世話になってばかりではいられない。私はもう、牛丼から卒業しなければいけない時期なのだ。

 

それから私はしばらくはSUBWAYに通った。BLTサンドが美味しいのだ。仕事の帰り道に、今日はどのブレッドとドレッシングを組み合わせてやろうか、そんな事を考えると胸がワクワクして腹がグーグー鳴る。これはもしかしたら恋なのかもしれない。私の腹のときめきは、BLTサンドに満たされる事に満更でもない様子だ。

 

私は松屋の前を通り過ぎる際に、ウィンドウで体のシルエットを確認した。ちょっとだけ痩せて来た様な気がする。店内を覗き込むと松屋のテーブルに上に牛丼がいた。相変わらず味噌汁と一緒にいる。本当にあいつらは仲が良い。

 

ウィンドウ越しに牛丼と目が合った気がした。少し寄って行けば?そんな冗談交じりの言葉が聞こえる。私は笑いながら手を振って「また今度な」と合図を送る。松屋を通り過ぎ、SUBWAYに入っていく私の背中を、牛丼が笑いながら見ていてくれた様な気がした。大丈夫、私の気持ちはきっと、牛丼に届いている。