おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

音楽、バンドに関する様々なアレコレを書いています

夏の終わりに怖い話

幽霊を信じるか、信じないか。人によって意見が割れるとは思うのだけれど、私はどちらかと言うと幽霊は「いる」と信じているたちだ。

 

「いる」とは思いつつも「いたら嫌だな」と思う自分もいる。怖い話は好きだけど苦手でもあり、怖い映像を直視できない私はよく心霊番組を目を閉じながら見ている。全く何が起きているかわからないけど音だけ聞いて「ギャー」と悲鳴をあげている。

 

思うに幽霊と言うのはどれもこれも見た目がおどろおどろし過ぎるのだ。もっとカジュアルかつライトに、ホットパンツを履いた金髪巨乳のフーターズ・ガール風な幽霊ならば私だって喜んで受け入れよう。そんな幽霊がいたらぜひ、私の部屋に住み着いて欲しい。遠慮はいらない。

 

さてさて、そんな私だが周囲には所謂「霊感」を持っている友人が何故か多い。ただその霊感と言うものを持っている人にも程度があって、気配だけ感じる人もいれば、音だけ聞こえる人、実際に見えてしまう人と様々だ。

 

見えしまう人から言わせると、あまりにハッキリと見え過ぎてしまう性で、最初は幽霊だと気づかない事もあるらしい。それにボンヤリと見える幽霊はそこまで怖くないが、ハッキリと目視できる幽霊は危険だとよく聞く。

 

また、霊感があるから怖い体験をする訳ではなくて、霊感がない人でも「幽霊に憑かれやすい」人と言うのは存在するとのことだった。そう言う人は迂闊に心霊スポットに行くと霊を連れて帰ってきてしまう事もあるらしい。イタズラに心霊スポットに近寄ってはいけないと言うのは、こう言う事がよく起こり得るからだと教えてもらった。

 

そんな私の友人の中ではT君と言う男が最も霊感が強い。彼は幽霊が「見える」体質で、これまでも何度か幽霊に遭遇した事があるとの事だ。

 

私が彼から聞いた中で最も印象的だったのは、T君の友人が心霊スポットに住んでいると言う話だ。話を分かりやすくする為に、私の友人で幽霊が見える彼を「T君」。心霊スポットに住んでいる友人を「H君」と呼ぶ。

 

H君の家は巷で噂になる程の心霊スポットだった。と言うのも建屋自体がかなり古く、敷地内に戦時中からある井戸や防空壕が残ったままなので、心霊スポットの様な出で立ちの家と言うだけなのだが。

 

それでもたまに近所の人が夏に肝試しに来ることがある位のおどろおどろしさだったそうな。

 

実際にそこに幽霊はいたのかについて、当のH君自身は「もう何年も住んでるけど別に何も見たことがないよ」と呑気な様子だったが、霊感のあるT君は感づいていたらしい。ここには何かいる...と。

 

ただ何度遊びに行っていても気配は感じるが姿は見えなかった。夜中になると時折、井戸のある方の窓から刺す様な視線や呻く様な声が聞こえるが、ただそれだけ。霊感のあるT君でもその程度にしか感じていなかったから、H君はそうした気配には全く気づかなかったのだろう。

 

結局何年かしてH君は都内へ引越しをした。T君も引越しを手伝い、荷物を運んだ後はそのまま新居に一緒に泊まることになった。

 

引越しの疲れもあり早々に眠ってしまったが、夜中にT君はふと目が覚めてしまった。すると、アパートの三階なのに窓から覗き込む様にこちらを見ている視線を感じた。前の家でも何度か感じた、あの気配だ。

 

ついてきてしまっていたのだ。

 

翌朝、早々にH君の家を後にしたT君は、その後はH君の家には遊びに行かなくなったそうだ。

 

俺「H君に教えてあげなかったの?」

 

T君「いやー、言えなかったな。Hは全然気づいてなかったし。」

 

俺「まぁでも害はないんでしょ?見てるだけな感じ?」

 

T君「んー...まあHは今でも元気だけどさ。

 

家には近寄りたくはなかったな。

 

俺が帰る時にはもう

 

 

部屋に入ってきちゃってたから。

 

 

 

帰る時に外から部屋の窓みたらさ。

 

 

部屋の中からジッとこっちを見てたの。

 

 

 

ジッ...とね。

 

 

 

もう慌てて目を逸らしたよね。

 

 

 

目を合わせると危ないんだ。

 

 

見えてる、気づいてると思ってついてきちゃうから。」

 

俺「こわ!」

 

T君「目が合っちゃったパターンの怖い話もあるよ。」

 

俺「マジで?やばくね?」

 

T君「いやーあれは本当に危なかった。この前、明け方に24時間やってる銭湯に行ったんだけどさ。」

 

俺「ほうほう...」

 

T君「服脱いでロッカーキーを足首につけて風呂に入ったら...

 

 

もうめちゃくちゃいっぱいいるんだよ。」

 

 

 

俺「霊が?」

 

 

 

T君「いや....ゲイが」

 

 

 

俺「ゲイが!?」

 

 

 

T君の話をまとめるとこうだ。遊んでいて、たまたま明け方に24時間営業している銭湯に行ったらそこはどうやら秘密の男の花園だったそうだ。

 

異常に混雑した明け方の銭湯にひしめく裸の男達が、新たに入ってきたT君の股間に刺す様な視線を送ってくる。サウナからは呻く様な声が聞こえてきた。

 

ゲイではない人でも「ゲイに好かれやすい」人と言うのは存在するとのことだった。そう言う人は迂闊にゲイスポットなんかに行くとゲイを連れて帰ってきてしまう事もあるらしい。イタズラにゲイスポットに近寄ってはいけないと言うのは、こう言う事がよく起こり得るからだとT君に教えてもらった。

 

 

 

T君「目を合わせると危ないんだ。見えてる、気づいてると思ってついてきちゃうから。」

 

 

 

見えない幽霊より断然、見えているゲイの方が怖いと思った。そんな平成最後の夏でした。

 

 

アーーーーーッ!

コンディションの良い日のアンパンマンにありがちな事

身だしなみに関してコンディションの良い日と言うものが存在する。特に何もしていなくても朝出かける前に鏡を見た時に「あれ?今日の自分いつもよりキマッているかも?」なんて思ったりする日の事だ。

 

髪型だったり、肌ツヤだったり、女性ならメイクだったりが特に意識しなくても良い感じに仕上がっている日と言うものは、生きていればそれなりの頻度で起こるものなのだと思う。コンディションが良い日はいつもよりちょっとだけ外出が楽しくなる。誰か人に会ってみたくなる。そんな経験、きっと誰しもあるのではないだろうか。

 

そしてこの「コンディションの良い日」と言うものは誰しもに起こり得るならば、きっとアンパンマンにも起こり得るのではないだろうか。我々とは比にならない頻度で「顔」を入れ替え続けているアンパンマンならば、きっと私たち以上に「顔のコンディションの良い日」と言うものを気にする機会が多いような気がしてくる。今日はそんな話をしていこう。

 

アンパンマンを知らない人は流石にいないとは思う。ドラえもんサザエさんちびまる子ちゃんに並ぶ超国民的アニメキャラクターだ。アンパンマンワールドの無敵のヒーロー。子供向けアニメ業界の重鎮。アンパンのドン。それがアンパンマンだ。

 

言わずもがなアンパンマンは物凄い頻度で「顔」自体を入れ替える。誰かに顔を与え過ぎた時、雨に濡れてしまった時、バイキンマンにやられた時、どこからともなくジャムおじさんが法定速度と言う概念を度外視したスピードで砂埃を巻き上げながらアンパンマン号を走らせて現れる。そして人間のレベルを遥かに超越した投擲能力でバタコがアンパンマンの顔を投げるのだ。

 

当たり前だけれどアンパンマンの顔はアンパンなのだから完全に正確に全く同じ顔が毎回作り続けられている訳ではないんじゃないかと私は思う。ましてやアンパンマンの顔は工場のライン製造ではなくジャムおじさんの手作りなのだから、アニメだとそこまで詳細には描かれていないが、ちょっとだけ鼻が大きくて不細工な顔の時もあれば、目がパッチリして良い感じの顔の時もあったりと個体差が出るはずだ。そうなるとアンパンマン自身に自我があるのだから「あれ?今回の顔ちょっとキマっているな」なんてコンディションの良さを感じる機会があってしかるべきだと私は思う。

 

そしてこの「良いコンディション」を崩したくないと思うのもまた人情だろう。髪型がばっちり決まった日が強風だと外に出たくないし、メイクがばっちり決まった日にはなるべく汗をかきたくない。と思ってしまうのは致し方のないことだ。

 

アンパンマンに置き換えると顔のコンディションが良い日はきっと「誰かに顔をあげるのが嫌になる」のではないかと私は考察する。更にいうならば、ぶっちゃけバイキンマンとも戦いたいなくはずだ。顔が汚れるから。

 

しかし顔をあげたくないしバイキンマンともぶっちゃけ今日は戦いたくないと言った気持ちとは裏腹に、コンディションの良い自分を誰かに見てほしいから無駄にいつもより入念にパトロールする。そんな日が実はアンパンマンにもあると思う。

 

アンパンマンの存在を根本から揺るがしかねない発言であることは自覚している。やなせたかし先生が「本当の正義の味方は戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろう」と言って生み出されたアンパンマンが「顔をあげるのが嫌」だなんてあってはならない。あってはならないけれど、アンパンマンだってそれなりに身嗜みを気にする権利があっていいはずだ。

 

無償の奉仕。無償の愛。無償の正義。言葉にすれば美しい。

 

美しいけれどそうした見返りを求めない無償の行為は全て施す側の自己犠牲があって成り立っている事を忘れてはいけない。無償の行為は色々あれど、自身の顔をちぎって他人に分け与えるアンパンマンはその最たる例だと私は思う。正義の味方は究極の自己犠牲であって、アンパンマンって本当に大変なんだ。

 

個人的にはアンパンマンはもっともっと自分勝手になってもいいと思う。お腹が空いたらアンパンマンが顔を分け与えに来てくれる。バイキンマンが出たらアンパンマンが倒してくれる。

 

そう勝手に思い込んでアンパンマンの無償の自己犠牲の上に胡坐をかいているアンパンマンワールドの奴らに「お腹が空いたのかい?ほら!食パンマンの顔をお食べよ!」とか、バイキンマンが出たら「来るならこい!今日はカレーパンマンが相手だ!」と言い放つアンパンマンが見てみたい。そのくらいの権利、正義の味方だって当たり前に持っていてしかるべきなんだ。今日はそんなお話でした。

故郷はいつだって懐かしくて暖かくてホッとして、少しだけほろ苦い。

今回ははてなブログの企画「私のふるさと」に応募する記事をしたためる。企画に応募した参加者の中から素敵なふるさと記事を書いた人に対してなんと特産品(2万円相当)が送られる夢の企画。

 

私は思った。2万円分の特産品が欲しいと。2万円分の特産品が食べたいと。故郷を紹介したいと言う気持ちより断然、2万円分の特産品を食べたい気持ちが強い。特産品が無理なら2万円の現金でも良い。

 

さてさて。私は今でこそ実家は千葉県木更津市にあるが、幼少の頃は千葉県市原市の有秋台と言う所に住んでいた。生まれ育った有秋台の方が私にとっては故郷と呼ぶのにしっくり来るので、こちらを題材にしようかと思う。木更津はヤンキーしかいないから特に書く事がない。木更津がヤンキーの特産地って話はまた別の機会に。

 

私は生まれてから小学校5年生までを有秋台で過ごした。誰かに紹介できるような特別なものなんて何もないような所だ。あるのは沢山の社宅と駄菓子屋、無駄に長くて急な坂道とこれまた無駄にデッカい公園だけがあるような土地だった。

 

私の中にある1番古い記憶は幼稚園児の頃くらいからだろう。当時の私の行動範囲は住んでいた社宅の敷地内だった。同年代の子供が沢山住んでいたので毎日社宅の中で遊んでいた。隠れんぼをしたり、木に登ったり、使ってない社宅に肝試しに行ったり、そんな遊びをしていたかな。

 

私は結構ませた子供で、幼稚園の頃から好きな女の子がいた。相手は同じ幼稚園に通うSちゃんと言う女の子だったが、何がきっかけで好きになったかなんて1ミリも思い出せない。たぶん、顔が好みだったんだと思う。

 

小学校に上がると自転車に乗れるようになり、社宅の外で遊ぶ事が増えた。お手製の釣竿を作ってザリガニを釣ったり、学校のグラウンドで竹馬をしたり、駄菓子屋で酸っぱいガムにご用心とかきなこ棒を食べたりしていた。あとやたらと、鳩を追いかける癖があった。鳩を追いかけるのが当時の趣味だったのかもしれない。

 

子供だった私は有秋台をとても広大な土地だと思っていた節がある。どこに行くにも無駄に長くて急な坂を登ったり降りたりしなきゃいけない不便な土地だったのに、そんな事を気にも止めず、毎日飽きもせずに有秋台をグルグルと周って遊んでいた。また、今よりも季節の移ろいを深く感じて、四季毎に遊びも変わっていたと思う。

 

無駄にデッカい公園にはこれまた無駄に長い階段があって、そこは春になると桜が満開になるから桜坂とか呼ばれていた。良く親とも友達ともお花見に行った気がする。

 

夏は社宅で花火をしたり、父親と夜中にカブトムシを捕まえに行った。カブトムシは虫なのにゼリーを食べる所に妙に親近感を覚えたりしていた。

 

あと社宅にビワの木が生えていたから良く登って食べてたかな。この頃に野生のビワを食べ過ぎたせいで大人になるまで「ビワはそこらへんの木になってる果物」とずっと勘違いして生きてきた。大人になってからスーパーでビワの値段を見てたまげた記憶は割と真新しい。

 

秋はどんぐり集めに精を出していた。どんぐりを拾ってはコンクリートに擦り付けて削り、中身をくりぬいて船にしていた。どんぐりシップだ。つまようじを指してコマにもしていた。子供のクリエイティブな発想の犠牲になるのは大抵どんぐりだ。

 

千葉県だけど、冬は今よりも全然深く雪が積もっていた気がする。雪が積もった日はソリに乗って無駄に長い坂を滑ってた。あと雪だるまも作ってた。泥だらけの雪だるまだったけど、出来上がった時の達成感はひとしおだった。翌日には溶けてドロダルマになってたけど。

 

ちなみに小学校4年生の頃くらいには幼稚園からずっと好きだったSちゃんともやや進展があって、一回だけ2人で遊んだのを覚えている。近所の「クロワッサン」と言う名前のパン屋で待ち合わせをして遊んだ。これが人生最初のデートだったなぁ。

 

そんな具合で色々と思い出深い有秋台を離れたのは、親が木更津に家を買ったからだった。小学校5年生までいたから、友達やSちゃんと同じ中学校に行けない事が結構悲しかった様に記憶している。まあ子供の力じゃどうしようもないよね。

 

再び有秋台を訪れたのは転校してから11年後の22歳の時だった。別に大した理由があった訳じゃないけど、たまたま有秋台の近所を通る予定があり時間もあったので、ちょっと見ていこうかなくらいの軽い気持ちで立ち寄った。

 

大人になってから見るとあんなに広大だと思い込んでいた有秋台がとてつもなく狭い土地だったと気付いて驚いた。

 

無駄に長くて急な坂だと思っていた坂は全然緩やかで長くもない普通の坂だった。無駄にデッカいと思い込んでいた公園は全然小さくて大した遊具もない普通の公園だった。

 

グルグルと有秋台を歩いていると、子供の頃の思い出を発見できる場所と、変わり過ぎていて知らない土地の様になってしまっている場所とが交互に現れた。

 

良く行っていた駄菓子屋はまだ営業していた。きな粉棒も見つけた。

 

ザリガニを釣ってた池は見つける事すら出来なかった。

 

初めて女の子と待ち合わせをしたクロワッサンは潰れてしまっていた。

 

住んでいた社宅は残っていたけど、違う会社の社宅になっていたし、ビワの木もなくなっていた。

 

それでも私は何だかんだ懐かしい気持ちになった。大人になった自分でも、変わってしまった景色の中に思い出を発見できる感覚が妙に嬉しくて、懐かしいやら寂しいやら。

 

故郷と呼べる土地があるのは幸福なことだ。例えその土地が昔と大きく変わってしまっていたとしても、自分がそこで過ごしたと言う事実は変わらない。

 

そんな故郷が思入れ深いのはきっと、自分の初めての経験が沢山詰まった場所だから何だろうと私は思う。

 

生まれて初めて隠れんぼをしたのも、木に登ったのも、花火をしたのも、自転車に乗ったのも、雪を見たのも、カブトムシを捕まえたのも、友達や好きな女の子が出来たのも、転校で離れ離れになったのも。沢山の初めてが詰まった場所だから、故郷はいつだって懐かしくて暖かくてホッとして、少しだけほろ苦い。

 

小一時間ほど歩いたけど、結局ザリガニが釣れた池は見つけられなかった。大人になると見える景色が変わる。子供の頃には見えたり感じられた何かに大人になると鈍感になるんだと思う。きっと、大人になってしまった私にはもうザリガニが釣れる池は見つけられないんだろう。

 

冒頭で申し上げた通り、有秋台は誰かに紹介できるような特別なものなんて何もないような所だ。今あるのは社宅と駄菓子屋と、短くて緩やかな坂道とこじんまりとした公園。あとザリガニが釣れる池が何処かにあるかもしれないって位かな。

 

それでも私にとっては思い出深い、たった1つの変わらない故郷なんだ。今日はそんなお話でした。 

自称音楽通の倒し方

インターネットやSNSが定着した現代、音楽は個人で楽しむのではなく他人と情報をシェアし、みんなで楽しむものへと変わってきた。

 

こうした時代が出来あがったのは音楽ストリーミングサービスやTwitterInstagram等のSNSYouTubeの存在が大きいのだと思う。CDを貸し借りしていた時代と比べると、現代は音楽を手軽にシェアできる手段が格段に増えている。

 

便利な世の中になったなぁと素直に感じると共に、便利な時代の弊害として世に蔓延る「自称音楽通」との戦いは激化の一途を辿ってしまっていると言わざるを得ない。

 

自称音楽通とは何か?端的に言ってしまえば音楽に精通しているフリをして如何に毎年沢山のフェスに行っているかを聞いてもいないのに報告してきたり、iPodに入っている曲の数で会話のマウンティングを取ろうとしてくる輩の事を指す。つまり、音楽の知識をひけらかして如何に自分が優位な存在であるかをアピールし続ける人の事である。

 

現代では約30人に1人の割合でこの自称音楽通がいると言われている。道を歩けば自称音楽通に当たる。はぐれメタルより全然、自称音楽通を見つけることの方が容易になっているのが現代だ。

 

今日はそんな自称音楽通の被害事例を紹介すると共に、傾向の考察から正しい倒し方までをレクチャーして行きたいと思う。題して「自称音楽通の殺し方」だ。

 

夏になるとセミと一緒に増えてくるのはフェスに行ってきた自称音楽通だ。彼らのフェス話は「今年のロッキンは熱かった」から始まり、「ドコドコのバンドのMCがマジ面白かった」に続き、「ドコドコのバンドで泣いた」で締めくくられる。

 

これは別に一緒にフェスに行ってきた人達と共有する分には何の問題もない。フェスを共にした者同士で熱く語り合うのはむしろ自然な行為だし、存分に語っていいと思う。

 

問題なのはフェスの熱量をそのまま公共の場に持ち込んでしまう所にある。そしてその熱量をフェスに行っていない人にも強要するのが頂けない。

 

フェスに行っていないのに同じ熱量でライブを語るのは土台無理な話なのに、こちらの反応が芳しくないと「わかってないなぁ」とか「フェス行かないなんて勿体ないよ?」と言ってくる。私がサイヤ人ならこの言葉できっとスーパーサイヤ人になっている。

 

見ていないライブを見てきた人と同じ熱量で話すのがどれだけ難しいかを自称音楽通はわかっていない。どれだけ熱い熱いと連呼されてもその熱さがそのまま伝わる訳がない。これは音楽より石焼ビビンバに話を置き換えるとわかりやすい。

 

例えば私が近所にある定食屋さんで石焼ビビンバを食べたとする。

 

そしてそこで食べた石焼ビビンバの石鍋がマジで尋常じゃない位に熱かったとしよう。

 

こんなに熱い石焼ビビンバの石鍋を見たのは生まれて初めてだったと言う体験を他人に話したとして、その石鍋の熱さのヤバさは絶対に相手に伝わらない。仮に相手が石焼ビビンバが好きでも、自分が食べていない石焼ビビンバの石鍋の熱さにまで興味は持たない。どれだけ一生懸命石焼ビビンバの石鍋が熱かったって話したって相手は「へぇー」以上の感想を抱くことは難しい。つまり、音楽やバンドが好きでも自分が行っていないライブの話にはそこまで熱量をあげられない。と言う事が言いたい。(石焼ビビンバの話わかりづらいね。

 

しかし、この「その話題、そんなにこっちは興味ないよ?」と言う空気に自称音楽通は気付いてくれない。こちらが興味を持っているかどうかは二の次なのだから当然だ。

 

自称音楽通はもう如何に自分が音楽に精通しまくっているかを話し続けたいだけなのだから、適当に相槌を打っているだけではいつまでも一方的にフェスの話をされる。フェスに行かないことがどれだけ人生を損しているかを熱弁され続ける。そしてもっと音楽を聞いた方が良いと諭され続ける。マウンティングだ。

 

こうした不慮の事故に対する対策として今回私が提案したいのは「殴られたら殴り返す」と言うシンプルかつ革新的な手法だ。いつまでも自称音楽通を野放しにしてはいけない。会話で殴られたら会話で殴り返すべきだ。

 

つまり自分が興味のない通な話をされたら、相手が興味がないであろう通の話を全力でぶつけかえすのが良いんじゃないかなと私は思う。

 

具体的には自称音楽通が「この前ロッキンに行ってきてさ!」とジャブを繰り出してきたら「俺はその日は落語を見に行っててさ!」と渾身の右でカウンターを放つのがベター。

 

もちろん、この程度では自称音楽通は折れたりしない。すぐに「落語よりロッキンの方が楽しいよ!」とマウンティング仕返してくるに違いない。そして狂ったように「ホルモンがホルモンが」と話し始める。しかし、安心して欲しい。相手が折れないのならば折れるまで殴り返せばいい。いつだって答えはシンプルだ。

 

俺「ホルモンかー!良いね!落語の方は三遊亭とん馬が出ててさ!めっちゃ面白かったよ!」

 

自称音楽通「へぇー!そうなんだ!ちょっとわからないな!!あ!ロッキンのタイスケ見る?今年は本当熱くてさ!」

 

俺「えー!知らないの??遅れてるなー。損してるよそれ?あ!落語のタイスケも見る?いやーこの日のタイスケ本当熱くてさ!三遊亭とん馬からの桂小文治は見逃せないよね!」

 

自称音楽通「ほら!このロッキンのタイスケ見てよ!もう何処から見ようか悩んじゃってさ。キミならどうやって周る?俺はまずポルカ見てそれから10-FEET見て、アジカンも良かったなー。」

 

俺「こっちもこの日は古今亭菊千代さんかでててさ!まあ落語だけじゃなくて漫談や紙切りとかもちゃんと見たんだけどね。講談も結構良かったなー。」

 

自称音楽通「いやー本当ポルカのセトリが熱くてさ。人魚からのテレキャスターストライプはテンション上がったわ。生で聞くと違うよね。ポルカ聞いてないとか本当にわかだよなあああああ!!」

 

俺「ほんと、やっぱり落語は寿限無が熱くてさー!生で聞くと違うよね!寿限無の名前全部言える??いやもうこれは一般常識だけどね。寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝る処に住む処 藪ら柑子の藪柑子パイポ パイポ パイポシューリンガンシューリンガングーリンダイ グーリンダイポンポコピーポンポコナーの長久命の長すけえええええええええええ!これ言えないとかヤベェにわかだからああああああ!」

 

お互いがお互いの土俵でマウンティングを取り合うノーガードの殴り合い。

 

PRIDEで言う所のドン・フライ vs 高山。

 

K-1で言う所のマーク・ハント vs レイ・セフォー

 

ヒーローアカデミアで言う所のオールマイト vs オールフォーワン。

 

こんな具合で心ゆくまでお互いがお互いを全力で殴り合えば良いと思う。そして存分に殴り合った後は健闘を讃えあって握手をすれば、お互いがお互いを全く何にも分かり合えていなくたってもう仲良しだ。

 

最後に補足しておくけど、個人的にはあんまりフェスには行かないが、たまに行くと私も自称音楽通へと変貌して「サカナがーサカナがー」と呻き始める事がある。そんな私を見かけた時はぜひ全力で殴ってあげてください。フェスってやっぱり楽しいよね。

ドラムはスポーツ。

最近気付いたんだけどもしかしてドラムってスポーツなのかもしれない。何を言ってるんだ?と思われるかもしれないけど私の言い分も少し聞いて欲しい。ドラムは音楽よりもスポーツに近い。そろそろちゃんとしたスポーツとして競技にした方が良いんじゃないかって考えが沸々と湧いてきている。

 

バンドのパートにはそれぞれ適性が存在していて、例えばボーカルならば音感が良くて声量がある人が向いている。ギターは友達が少なくて部屋に一日中篭って練習してても苦にならない人が上手くなる。ベースは地味な演奏に快楽を見出せる変態じゃないと務まらない等々。楽器の向き不向きはある程度はその人が元々も持っている資質に依存する。

 

ドラムに関しては運動神経が良くて体力がある人が向いている。かつ、筋力があれば尚良い。リズム感とか細かいテクニックよりまずフィジカルを求められる。ここにドラムはスポーツだと感じる所以がある。

 

ドラムの運動量は楽器演奏の域を超えている。両手両足を余す事なく使う全身運動だし、練習やライブでは数時間叩きっぱなしになる事もザラだ。走ったりはしないけど、純粋に何時間も休まずに手足を動かし続けるのってかなりキツイ。まず体力がないと話にならないし、長時間のプレイに耐えるためにはある程度の筋力も必要不可欠になる。

 

ドラムに必要な適性は音感でもリズム感でもなく1に体力、2に体力、3、4が筋力、5に体幹だ。つまるところ、ドラムは音楽よりも断然スポーツの類に近い。

 

この事自体は実際にドラムを叩いている人の方が自覚していて、ドラマーの人はある一定のレベルを超えると自主練でドラムを叩かなくなる。ドラムを叩いている暇があるなら筋トレをするからだ。

 

この現象は日本の住環境において自宅でドラムを叩く事が難しいと言う問題に起因している。家ではドラムを叩けないから皆最初は1人でスタジオに行ってドラムを叩く。始めたばかりの頃はドラムを叩いているだけで楽しい。

 

しかしその内段々とスタジオまで通うのが億劫になってきて自宅で出来る練習を模索し始めるが、自宅で出来る練習は限られてしまうので最終的には筋トレに手を出し始める。

 

「ドラムが上手くなりたいから体力作りの一環として筋トレをする」と言う構図から徐々に「筋トレをすればドラムが上手くなる」と言う考え方にシフトし、やがて「筋トレさえしていればドラムを叩かなくてもドラムが上手くなる」と言う真理にまで至る。

 

過度の筋トレと比例するように脳みそが萎縮し始め「力こそパワーだ」と言うドラマーの人がたまにいるが、これが末期の状態。ある意味ドラムを極めた者の境地であるとも言える。力こそパワー。なんと言うパワーワードだろう。およそ音楽人とは思えない発言に度肝を抜かれる。筋トレにストイック姿勢はバンドマンと言うよりもアスリートに近い。やっぱりドラムはスポーツだ。

 

冒頭の話に戻るが、ここまでドラマーはアスリート化するのだからそろそろドラムは音楽の枠を超えてスポーツやエクササイズとして普及しても良い様な気がしている。配置的にステージの後ろに隠れてしまいがちなドラマーにもっとスポットライトが当たる様、きちんとしたルールを設けてドラムをスポーツ化したらどうだろう。

 

例えばだけど試合は1on1で交互にドラムを叩く形式で行われる。審判員は各選手のプレイを技術点、パフォーマンス点、筋肉のキレから評価し総合点で勝敗をつける。同点の場合は延長戦に突入して一分間に何発バスドラを踏めるかを競うのとかどうだろう。ちょっと楽しそうだ。

 

スポーツとして普及すれば万年人手不足にあるドラム人口も増えてくるかもしれない。学校の学祭で1人のドラマーが全てのバンドに掛け持ちで出演するなんて不幸な事故もきっと減る事だろう。

 

最後にちょっと誤解のない様に補足して置くと、厳密にはドラマーにも筋トレ派とアンチ筋トレ派が存在していて、必ずしも世の中のドラマー全てが筋トレ至上主義ではないです。ただ私の周りには筋トレ派の脳筋ドラマーが何故か多い。そして平気で「ドラムを叩いている暇があるなら筋トレするよ」と笑う。たまにはドラムも叩いて欲しい。

 

ちょっと宣伝

久しぶりに私の所属しているバンド「オミコシーズ」がライブします。

 

8月25日(土)両国sunrize で『いときんヒーローズ2 jet turbo ダイナマイト』と言うイベントです。オミコシーズの出番は16:25から_(:3」z)_

チケット2000円です!

 

もし良かったら遊びに来てくださいな!お問い合わせ、チケット予約はこちらから!

 

↓↓連絡先↓↓

mnemomasa64@gmail.com

 

 

音楽と肛門の因果関係に想いを馳せる

ニュースで見たのだが商品に対する過剰な宣伝や広告で消費者に商品の性能やサービス内容を誤認させて販売をする不当表示が問題になっているらしい。

 

この問題はダイエット効果がないのに1週間で痩せると謳ったダイエット用品、見放題ではない動画見放題サービス、高級ブランド牛を装った食品等々の効果やサービス内容を過剰に宣伝して商品を買わせたり有料のサービスを利用させたりする悪質な手口の事を指す。

 

私は曲がった事が許せない。人を騙すなんて最低な行為だと憤りを感じた。この憤りを記事にしようと思い、ブログを開いてハッとした。

 

そう言えば私も音楽系ブログを謳っておきながら全く音楽の話をしていない。音楽の話をしないどころか最近は肛門の話ししかしていない。バンドマン必見の音楽系ブログを謳いながら肛門の話をする。これってもしかして不当表示問題に該当してしまうのではないだろうか。

 

思わず慌てて自身のブログの紹介文を見直した。バンド運営、楽器、機材、音楽理論等の紹介と書いてあるが、そんな記事を最近全くと言って良いほど書いていない。音楽のアレコレを謳っていながら音楽以外のアレコレが充実し過ぎてしまっている。最近書いたのは肛門の話とナンの話とドラゴンクエストの話だけで、もはや音楽の存在は影も形もない。

 

 

↓↓問題となっている弊ブログの宣伝文↓↓

f:id:mnemomasa64:20180801225646j:image

 

痩せないダイエット用品、見放題ではない動画見放題サービス、小顔効果のない美顔器、肛門の話しかしない音楽系ブログ。

 

ヤバい。全く違和感なく不当表示問題に溶け込めてしまっている様な気がする。このままでは私も消費者庁から厳重注意を受けるのも時間の問題かもしれない。

 

どんな形で注意を受けるかまではわからないので想像するしかない。もしかしたら突然部屋に来たりするのだろうか。インターホンが鳴ったからドアを開けてみたら如何にも堅い仕事をしてそうな男が立っていて「おたく、音楽系ブログを謳いながら肛門の話ばかりしてますね?」と探りを入れてくるかもしれない。考えただけで肛門がキュッと締まる思いだ。

 

でもきっと認めたらダメな気がしてならない。認めたら罰金とか取られてしまうかもしれないし、ニュースにも載ってしまうかもしれない。

 

「音楽の情報発信を謳いながらインターネット上で卑猥な記事を公開していた男を逮捕」とか報道されたらどうしよう。

 

話が捻れて「音楽の情報発信を謳いながらインターネット上で卑猥な肛門を公開していた男を逮捕」なんて報道されてしまったらどうしよう。まるで私の肛門だけが卑猥な物のように扱わないで欲しい。肛門なんて誰のだって大抵卑猥なんだから。

 

もしそうなってしまった時、私に出来るのは全力で誤魔化す事くらいだらうか。誤魔化すと言うのは具体的に言うと肛門と音楽の関連性を熱弁して、因果関係を無理やりにでも結び付ける事だと思う。

 

自分で言っておきながら何だけど、音楽と肛門に因果関係などあるのだろうか?音楽から最も遠い位置に肛門がある気がしてならない。逆に言えば肛門から最も遠い位置に音楽もある。音楽と肛門は交わらない。これが真理ではないだろうか。

 

それでもこの消費者庁の男が納得する答えを提示しなければならない。私は必死に頭を捻らせ音楽と肛門の因果関係に思考を巡らせる。いかに音楽と肛門がそれぞれ最も遠い存在だとしても、同じ時、同じ世界、同じ時代にある事に変わりはない。必ず...何かしらはあるはずなのだ。考えろ。考えるんだ。こんな事考えてる暇があるなら音楽の記事を書けば良いのにと正論を振りかざす奴らに負けてなるものか。私は真理の探究者。世界の理を表す者。故に我は屈しない。必ず解いてみせる。音楽と肛門の因果関係...真実の先にある真理を掴むのだ。

 

 

 

 

音楽とかけまして

 

 

 

 

 

肛門と解きます

 

 

 

 

 

その心は?

 

 

 

どちらも...

 

 

 

 

 

どちらも「聞くもん」でしょう。

 

 

....。

 

きっと消費者庁の男はクスリとも笑わない。私の背中をヒヤリと冷たい汗が流れる。一瞬を一瞬よりも長く感じた時、その瞬間を人は永遠と呼ぶのだろう。「聞くもん」と「菊門」を掛け合わせた渾身の謎かけはマンションの壁を反響し、どこまでも突き抜ける様な夏の青い空に溶けていった。全部暑さのせいだこれ。

2018年4〜7月くらいまでのアクセス、記事の振り返り

たまにはブログの成長の過程を記録してみようかなと思う。最近少し読者も増えてアクセス数も上がってきたので、ここら辺で1度ここ4ヶ月程の記事を振り返りながらブログの成長を発表していきたい。

 

アクセス数と読者の推移

2018年4月は日に150〜200位だった閲覧が、7月になった現在は日に200〜250閲覧に伸びた。また、記事をアップした日や週末には若干閲覧数が伸びて日に300閲覧を超えることもチラホラ。

 

ブログとしてはまだまだ全然アクセスがない方だけれど、純粋に続けていく中で少しずつでも閲覧が上がっていくのはとても嬉しいです。

 

何より、最近オッパイとビールと肛門の話しかしていないこんなくだらないブログを読んでくれている人が日に200人近くいるんだなと思うと何だか興奮してきます。

 

読者登録してくれている人も15人位増えたかな?ありがとうございます。あとちょいちょい出来たブログ友達がたまにブックマークしてくれたりコメントくれたりしててテンション上がります。

 

4〜7月で個人的に気に入ってる記事

少し反響があったり、個人的に書きたい事を書けてて気に入ってる記事を何個か抜粋して振り返ってみようと思います。

 

夜に会って寝るだけの関係

 

夜に会って寝るだけの関係 - おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

 

布団と夜に会って寝るだけの爛れた関係を続けていたら、気付いたら布団とソファと私の三角関係が勃発していた話。

 

無機物2つと人間1人の三角関係で揉めてるのは世界広しと言えど私くらいかなと思い悲しくなりました。

 

スーパーカップのまだ後2回変身を残してる感に痺れる

 

スーパーカップのまだ後二回変身を残してる感に痺れる - おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

 

アイスが結構好きなのでアイスを題材にした記事を書きたいなって思ってただけなのに、紆余曲折し過ぎて最終的に明治エッセル スーパーカップとお酒を飲みに行った話。こう言う記事をまた書きたいから最近スイカバーばかり食べてます。スイカバーうまし。

 

職場で社会の窓が閉まらないと言う人生の転機

 

職場で社会の窓が閉まらなくなると言う人生の転機 - おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

 

働く女性のWEBマガジン「りっすん」のコンテストに応募した記事。「仕事の転機」と言うお題に対して社会の窓が閉まらなくなった出来事を無理やり転機と称して応募しました。

 

笑いあり、お色気あり、涙あり。

私と社会の窓とでお届けするハートフルストーリーに仕上げたつもりだったんだけど今読み返すと「ひどい...」以外の感想が出てこない。

 

超怖いマリオのサイコパスな一面

 

超怖いマリオのサイコパスな一面 [閲覧注意] - おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

 

怖い話が書きたくなって書きました。マリオはキノピオを邪な目で見てるって話。やっぱり誰しも心に闇を抱えて生きてるんだなぁ。

 

ブログを読まれるのは肛門を覗かれる行為にほぼほぼ等しい

 

ブログを読まれるのは肛門を覗かれる行為にほぼほぼ等しい - おみこしの窓 〜バンドのあれこれ〜

 

最近描いた中で個人的に気に入ってます。はてなブログの「モチベーションをあげるもの」って今週のお題に対してガッツリ肛門の話を書いてたのはきっと私だけでしょう。

 

この記事を書いて自分の文体は肛門って単語と相性が良い事に気付きました。またその内、肛門の話を書きたい。※このブログは音楽系ブログです。

 

バンドの活動

ブログと同時並行でバンド「オミコシーズ」の方でも2曲ほど配信をしました。

 

先に配信した「ファミマロック」はもう4年?くらい前からライブではやってたんだけどようやく音源化。

 

わかり易いロックンロールでライブでやってると知らないおじさんとかがたまに踊りだしたりする曲。歌詞はボーカルのトール君が書いてるんだけど、結構練られていて個人的にも好きな曲です。

 

↓↓ファミマロックはこちらから↓↓

ファミマロック / オミコシーズ - YouTube

 

最近配信した「ホテル ハーフムーン」はギターのケン君がホテル三日月のテーマソングを「ゆったり たっぷり のんびりすれば良い」って歌い出したのがキッカケで仕上がった曲です。

 

夏の歌といえば湘南や茅ヶ崎なんてイメージが強いですが、千葉だって負けてねぇんだぞってのを前面に出しました。千葉の磯臭さが上手く表現出来てる気がします。

 

↓↓ホテルハーフムーンはこちらから↓↓

HOTELハーフムーン / オミコシーズ - YouTube

 

来月の2018年8月25日(土)には東京の両国サンライズで久しぶりにライブもしてるので良かったら遊びに来てください。

 

最近思う事

最近ふと気付いたんだけど、なんでこのブログが「おみこしの窓」って名前なのかが全然思い出せない。

 

おみこしはわかる。私がやってるオミコシーズってバンドのブログなんだからおみこしなのはわかる。おみこしに罪はない。おみこしは座って良し。

 

問題なのは「の窓」の方だ。一体全体なんで「の窓」なのか全くもって思い出せない。何だこいつは。自分でつけた名前の筈なのに、「の窓」は一体どこからきたんだろう。

 

そんな訳でちょっと気分を変えるためにブログ名を変えてみようか悩んでます。せっかくなのでブログ名の候補を緩く募集。採用された方にはもれなく私からの熱い熱い抱擁が贈られます。ん?いらないとか言わないで。